「仕事を好きになること」と「好きなことをする」の違いについて

 小説を書いたりコメンテーターの仕事をしたりしているせいだろう、「好きなことをやれていいですねと」と言われたりする。これってちょっと複雑な気持ちになるんですよね。たしかに会社での仕事も含めてすべて好きだし、やりがいがあるけれど、好きなことばかりしているわけではない。それどころか苦しいこと、きついことの連続なのだ。

 というわけで、今回は「好きなことってなんだろう」と考えてみた。

 このことを考えると、いつも思い出すのは、僕が学生だったころ、バイト先で知り合ったWさんのことだ。今でいうフリーターをしていたWさんは、それなりに名前が通った大学を出ていながら「俺は好きなことをして自分らしく生きたい」と宣言してどこにも就職せず、バイトをしながら陶芸やギターの演奏を楽しんでいた。
 と言っても、昨今のいわゆるワーキングプアとか負け組といったイメージはまるでない。それどころか、地方で手広く事業を展開している実家から潤沢な仕送りをせしめ、優雅な東京生活を楽しんでいた。


 僕が就職して三、四年がたったころ、Wさんと飲んだときのことだ。酔いに任せてWさんがぽつりと言った。
「お前がちょっとうらやましいよ」
 僕は驚いてWさんを見つめた。
「どうしてですか? 僕なんか毎日遅くまで働いて、いつもなんだか報われない感じがして、あげくにミスを犯して叱られたり自己嫌悪に陥ったりしているんですよ」
「それでもうらやましいよ」
「好きなことをしていて何を言っているんですか」
「なんだか手応えがないんだよな。本当に好きなことをしているのか、だんだんわからなくなってきちゃったんだ」
 僕はWさんの言っていることが理解できず、何も言えなかった。


 それから三日後のことだった。僕が原稿を書いていると編集長から肩を叩かれた。何か小言を言われるのだろうかと身構えた僕に編集長は「なかなかやるじゃないか」と笑顔を浮かべた。
「お前が書いた記事、面白かったぞ。人間が生き生きと描かれていたよ。次のリポート、期待しているからな」
 僕はがんばりますと笑顔で答えた。


 ほめられたのはある企業の戦略について書いた記事だった。総花的に書いても面白くないだろうと思い切って一人の経営者に絞り込んで書いたのだ。これまでにない企業戦略記事のスタイルなので受け入れてくれるかどうか不安だったのだが、編集長は面白がってくれた。良かった。今日はどこかで祝杯をあげようかな、そう思ったとき、ふいにWさんにはこういう経験がないのかもしれないなと気づいた。


 Wさんは好きなことをして暮らしている。仕事のストレスなどほとんどないだろう。でも人から認められることの嬉しさや厳しい課題をやり遂げた後の充実感には乏しい。それが、なんだか手応えがないという気分につながっているのではないか。もっと言えば、自分らしく生きているつもりでも、その自分を承認してくれる他者がいないと、だんだんとそれが本当に自分らしく生きているのかどうかわからなくなってしまうのではないか


 仕事を好きになる、ということには必ず他者の視線が介在するのだと思う。